国家と歴史の狭間で葛藤し、映画と芸術を探究した稀有な才能を発見する
東ドイツ国営の映画製作会社「DEFA」を代表する映画作家、コンラート・ヴォルフ。生誕100年となる2025年、日本初上映となる4作品を含む初めてのレトロスペクティヴが東京と大阪で開催されます。東西に分断された冷戦期のドイツに生まれたフィルム達は、新たな分断が加速する現在の世界をいかに照射するのでしょうか?
上映作品
「最も重要なドイツ映画100選」に選出され、今年のカンヌ国際映画祭クラシック部門でも上映された傑作『星』、「ベルリンの壁」が、隠喩として描かれる『引き裂かれた空』、ソ連兵としてドイツを訪れたヴォルフの自伝的作品『僕は19歳だった』、歌手として生きる女性の人生模様『ソロシンガー』など、いずれも必見の7作品です。
コンラート・ヴォルフ/Konrad WOLF
1925年10月20日ヘッヒンゲン(ヴュルテンベルク州)生まれ。父フリードリヒはユダヤ系の医者で作家。また、コンラートの2歳年上の兄マルクスは長年にわたり東ドイツの国際秘密情報機関(シュタージ)の幹部であった。1933年、一家はモスクワに亡命。翌年からコンラートは現地のカール・リープクネヒト校に通い、1936年にソ連国籍を取得する。映画好きな少年であった彼は、ドイツ人グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム監督の作品『DER KӒMPFER』(36)に出演。1942年12月、高校9年級を終えて間もなく徴兵され、軍政務局の翻訳通訳部に配属される。第二次大戦末には少尉としてドイツに進軍、ザクセンハウゼン強制収容所の解放に参加し、その功績を讃える勲章をソ連政府より受ける。戦後も引き続きソ連軍に所属、「ベルリン新聞」特派員として東ベルリンに駐在した後、ハレ市の文化担当官となり報道や出版等の検閲に携わる。1946年12月陸軍中尉として退官、1948年までソ連宣伝省の教育・青少年・スポーツ担当官を務める。1949年に全ソ国立映画大学(WGIK 現「全ロシア映画大学」)に入学し、ミハイル・ロンムやセルゲイ・ゲラシモフ等に師事。1952年2月に東ドイツ国籍を取得、SED(ドイツ社会主義統一党)党員となる。1953年にクルト・メーツィヒ監督の助手として実習し、1954年にWGIKを卒業、デーファ劇映画スタジオに招聘される。映画監督デビューは1956年の『GENESUNG(回復)』(ダマスカス国際映画祭銅賞)。続く『LISSY(リッシー)』(57、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭グランプリ)、『星』(59 カンヌ国際映画祭審査員特別賞)、さらに父フリードリヒ・ヴォルフ作の戯曲を映画化した『PROFESSOR MAMLOCK(マムロック教授)』(61、モスクワ国際映画祭金賞)、『僕は19歳だった』(68)、『ママ、僕は生きてるよ』(77)等、コンラート・ヴォルフには第二次大戦やユダヤ人をテーマにした名作が多く見られる。その他、代表作として『引き裂かれた空』(64)、『GOYA(情熱の生涯 ゴヤ)』(71、モスクワ国際映画祭審査員特別賞)、『ソロシンガー』(80、ベルリン国際映画祭銀熊賞)等が挙げられる。1982年3月7日、東ベルリン没。

「コンラート・ヴォルフ生誕100年 特集上映2025」
2025年10月18日より渋谷ユーロスペース、11月29日より大阪シネ・ヌーヴォにて1週間限定公開
予告編
企画:山根恵子
主催:ユーロスペース シネ・ヌーヴォ
協力:DEFA財団 ドイツ・キネマテーク ゲーテ・インスティトゥート東京